Jean Cocteau / Joan Miro / Bernard Buffet etc
ジャン・コクトー / ジョアン・ミロ / ベルナール・ビュッフェ 他
ジャン・コクトー
1889年7月~1963年10月
パリ近郊メーゾン・ラフィットに生まれる。代々パリの公証人を勤める家柄であった。詩人、小説家、劇作家、評論家、としての著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動もおこなった。
1916年モンパルナスで、詩人アポリネール、画家ブラック、ピカソらと親交を持つ。1920年代初めの数年間コクトーはデッサンに熱中し23年には最初のデッサン展がパリで開催される。1934年、キリコと初のリトグラフ展を開催。1940年代後半からは、映画製作に熱中し、「悲恋」「美女と野獣」等の作品を生みだす。また得意のデッサンを生かした陶器の制作や1956年のサン・ピエール教会の壁画をはじめ数々の壁画を制作する。1962年コクトー・ピカソ展開催し、翌年1963年10月パリ近郊の自宅で心筋梗塞のため多才な生涯を閉じた。
ジョアン・ミロ
1893年4月~1983年12月
20世紀のスペインの画家。カタルーニャ地方出身。カタルーニャ地方のバルセロナで、時計職人の父と金細工職人の母との間に生まれました。ミロは14歳で商業学校で学ぶ傍ら、美術学校にも通っていました。1920年27歳でパリにでます。1924年31歳ミロはダダの流れからシュールレアリスト・グループのメンバーとも親交を持つようになります。1934年画商ピエール・マティスと契約、1936年にはニューヨーク近代美術館に出品しました。スペインの内戦を逃れてパリのノルマンディーへと逃れます。その後今度はスペインのマヨルカ島に移りミロは生涯マヨルカ島のパルマを本拠地として、活動し1983年89歳でパルマで死去しました。
ベルナール ブュッフェ
1928年~1999年
パリ生まれ。多忙の工場経営者の父のもとに生まれ、心の支えであった母を10代で亡くし、1943年パリ国立高等芸術学校に入学。1948年パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。この頃から天才画家として有名であった。硬質で鋭く太い針金のような輪郭線、モノトーンに近い色彩を特色と する独自の様式を築き、その画面には人物の不安げな表情などとあいまって第二次大戦後の作者の不安で荒涼とした心象風景が表されている。女性像のモデルは 多くの場合、妻のアナベルである。油彩画のみならず、優れた版画も多く制作している。1971年レジオン・ドヌール勲章を受章。1974年アカデミー・フランセーズ会員となる。最愛の妻アナベルと生涯を添い遂げる間も彼の孤独が癒えることはなかった。晩年にはパーキンソン病を患い、71歳で自らの命を絶った。